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舞台脚本家から見た、小説の創作論
ご縁があり、創作論を書くことになりました劇作家の上城友幸と申します。
小説のお仕事もやったことはあるのですが、メインは舞台脚本になります。
なので、小説の書き方よりも脚本と小説の違いを見て、小説の強みを改めて探ってみようかなと。
かくいう僕も最初から脚本を書いていたわけではありません。
子供のころは漫画やアニメが大好きなどこにでもいる小学生でした。
『文字だけの小説より、絵があって一目見ただけでわかる漫画のほうが面白い』
と思っていたのを覚えています。
それが覆ったのは中学3年の時。
友人から
「これ、面白いから読んでみろよ」
と一冊の小説を貸してもらったのです。
タイトルは『ハレーションゴースト』。
星雲賞作家、笹本祐一先生のデビュー作『妖精作戦』シリーズの2冊目です。
妖精作戦シリーズは全4作なのですが、この2作目にあたるハレーションゴーストは外伝的な作品で、1作目の妖精作戦が未読状態でも楽しめたのです。
衝撃でした。
今まで『文字だけで展開も地味だし、漫画に劣る』と思っていた小説が、こんなにも躍動感にあふれるとは。
そして、細かい心理描写や様々なメカの詳細な描写など、漫画よりも格段に多い情報量とそれを活かす展開。
僕はこれ以降、すっかり小説のとりこになり
(僕も書きたい……!)
と思い立ち、衝動の赴くまま小説を書き始めたのでした。
そこから脚本を書くに至るまでは長いので割愛しますが。
小説を読んで、書いてその末に脚本に落ち着いた人間として両者の違いは重々承知しています。
目に見えてわかりやすい違いは『地の文』だと思います。
セリフ以外の文章のことで、読者がシーンの風景をイメージしたり、登場人物の人となりや舞台の背景事情を把握するための大切な役割を担う。
対して脚本では、地の文にあたる部分のことを『ト書き』といいます。
ト書きは脚本において『注釈』的な使われ方をすることが多く、役者がシーンを把握することはもちろん、衣装や美術の方々(大道具とか小道具をつくるひとたちです)のイメージ構築のため、脚本意図を演出家に伝えるためなど、こちらも大切な役目を担うもので、基本的にト書きは現在形で直接的かつ端的な表現で書かれます。
例えば、自作品のト書きを例に引用すると――
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稔麿から手紙を受け取り、捌ける増野。
その背中に深々と礼をする稔麿。
一拍を置いて、返書を手に戻ってくる増野。
受け取った返書を開き、少し読み進めたところで凍り付く稔麿。
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こんな感じです。
『地の文』と『ト書き』。
一番の違いは、お客様の目に触れるか否かだと僕は思います。
地の文が読者の心に直接影響を与え、心に映る景色や人物を形作るのに対し、ト書きはあくまでも表に出ない裏方的な位置づけ。
そして。
小説の強みは地の文こそにあるのではないかと、僕は思うのです。
中学3年のころの僕が、まさに笹本先生の緻密な地の文に魅せられたように。
少し話を変えましょう。
今まで小説と脚本の違いに触れましたが、脚本の中でもその種類によって書き方が違うものがあります。
映像作品、舞台、朗読劇、ボイスドラマ、ゲームシナリオ……などなど。
これらの脚本の書き分けるときの重要なファクターは
『使えるもの』
となります。
例えば、『ボイスドラマ』と『朗読劇』の脚本の差を見てみます。
この二つはともすると同じものとして書かれたりするケースがありますが、実は似て非なるものなのです。
ボイスドラマは【台詞】【ナレーション】【BGM】【効果音】を使ってお客様に【音だけで】物語を伝えるもの。
物語の表現方法として『使えるもの』が少ない形式と言えるでしょう。
対して、基本的に朗読劇は、劇場で客席にお客様を入れて舞台上で上演される形式のもの。
『使えるもの』は上記のボイスドラマの要素に加えて【表情芝居(口パクなどを含む)】【身振り手振り(限定的な場合もありますが)】など多岐にわたります。
演者たちが目の前で演じることにより、収録して提供されることがほとんどのボイスドラマよりもできることが大きく増えるのです。
ボイスドラマで使うと不発に終わりがちな『感情を込めた沈黙芝居』なども使えるし、喜怒哀楽は台詞を抜いたうえで表情だけでお客様に伝えることも可能。
ここまで使えるものが違うと、脚本の書き方も当然変わってきます。
たまに朗読劇の脚本をボイスドラマと同じ風に書いているものがあるので
(もったいないなあ)
と思ったり。
同様に舞台演劇の脚本と映像作品の脚本も違ってきますし、同じ舞台脚本でも映像のあるなしや小道具があるのかマイムで表現(無対象演技)でも違ってくるもの。
『使えるもの』はコンテンツの特徴となり強みともなります。
あらためて、小説の強みに話を戻します
情景描写から感情表現、専門的な説明や内面描写など、舞台演劇や映像ではせいぜいナレーションやテロップでわずかに入れるしかない情報を、地の分は余すところなく存分に入れることができるのです。
舞台演劇でナレーションを多用すると、よほど上手にやらなければリズムも悪くなるしダサくなりますし、とはいえ、あからさまな説明台詞はもっとダサいですし……
もちろん小説の場合は視覚情報が挿絵などに限定されますが、それはつまり
『読者の想像力を最大限に利用することが許される』
ということでもあります。
超巨大な宇宙戦艦、誰も見たことのない未知の生物、超絶イケメン……
読者の想像力にゆだねることで、それらの詳細に描写することが困難なものも作中で自在に扱うことができます。
良くも悪くも情報をダイレクトに視覚で提供する演劇よりも、小説は読者の想像力を刺激することによる物語世界への没入体験を提供しやすいと、僕は思うのです。
目に見えないものを見せ、あらゆる情報を自在に操る文章の力をフルに発揮して読者を楽しませることができる。
それこそが、脚本家の僕から見た小説の強みだと感じます。
そうした小説の魅力を改めて考えながら執筆をしてみるのも、面白いかもしれませんね。